Topics|2018/05/29

春たけなわ。しかしこの風景をこのように味わうことは、もうできなくなります。

 

 

ここしばらく、尾瀬でも穏やかな好天が続いています。

チシマザクラやミネザクラは、ほぼ満開となり、水芭蕉はいよいよ見頃を迎えています。
尾瀬ヶ原ではブナの新緑が、それこそ青空の下では狂ったかのような眩しさ。
森のなかでは、ひっそりとエンレイソウやサンカヨウ、タケシマランなどが花を咲かせ、長蔵小屋の裏では、名物のシラネアオイも今が盛りとなりました。

 

 

しかし、尾瀬沼きっての景勝地で知られ、湖畔の憩いの場として永年親しまれてきたここにも、いよいよ開発の手が入れられようとしています。

5月3日公開の最新情報でも触れましたが、人工物極まりない展望台の工事が、まもなくここでも始まるからです。

これを歓迎する人がいないとは申しませんが、それは、とにかく急がなければならない一部のハイカーと、団体を引き連れて、スポットだけを繋ぐだけのガイドツアーの引率者ぐらいではないでしょうか。
ガイドツアーはみんなで同じ知識を、効率良く得るには向いていますが、それぞれの人がそれぞれの心で何かを感じ得るには、あまり向いているとはいえません。
私達もお客様をご案内することはありますが、それをきっかけとして、いずれはご自身で、ご自分の時間を過ごしていただきたいと考えてのことです。
もちろんガイドの方々も同じ気持ちでいらっしゃるに違いはないでしょう。
しかし、そのように過ごせる場、そのものが奪われてしまうのです。
長蔵小屋の創始者、平野長蔵が遺した言葉に「悠久を失わしむることなくして、独想し、思索し、瞑想するの地たらしめよ。~風光明媚なるこの湖畔に、大自然の恩恵のもとに集まりて、この大自然の美を享受せよ」というものがあります。しかしこの開発では、ただ「さっさと眺めたら通過するの地」になってしまうのは明らかです。
自然保護、国立公園の利用の仕方が成熟期を迎えようとしているこの時代、もっと空気を、光を感じながら、じっくりと風景に浸るなり「時」を楽しむような利用へとシフトしていっても良いように思いますし、そうでなければ自然の素晴らしさを本当に感じることはできないのではないかと思います。
サラサラと通過してしまうのであれば、映像を見せられたのと、そう違いはありません。
美術館に行った時、ただ押し流されて見るより、好きな絵の前でゆっくり眺めたいと思った経験はないでしょうか。
この開発は、どこか方向性が間違っているような、時代に逆行しているような気がしてなりません。
展望場所の必要はあっても、わざわざ景観を壊してまで、人工的な展望台に税金を投入する必要などあるのでしょうか。
歩行路の整備にしてみても、あえて薮を切り開いて新しく木道を敷設するなど、目立つ構造物の建設ばかりに力を注がれますが、本当に必要なのは、地味で目立たなくとも従来からの道の維持・整備だったはずです。
基礎工事だけで2年を費やすような大規模な工事を伴う新しいビジターセンターも、わざわざ森を伐採してまで、尾瀬の核心部に作る必要などあるのでしょうか。
本来なら入山口にあるべき施設をこの地に建築するため、建築費と同じかそれ以上の空輸費を費やしながら、現在尾瀬沼では工事が進められています。

 

展望台ができると、ベンチの目の前に檻のような金属柵が並ぶようになります。
こんな感じで風景に浸ることはもちろんできなくなりますし、もちろん記念写真もサマにはならなくなるでしょう。

この湖畔はどうなってしまうのでしょうか。

 

こちらは昨年できた展望台。ベンチに座って眺めようものなら、せっかくの景色も台無しです。
計画では、これの約3~4倍の規模の物が作られることになっています。


 

 

私達の言葉は虚しく、無力ではありますが、それでも、わずかに残された湖畔の本当の風景を、故長蔵の言葉を胸に、これからも大切にして行きたいと思います。