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尾瀬の保護と長蔵小屋の歩み

平野長蔵|尾瀬の保護史の始まり

明治22年(1889年)、平野長蔵が燧ヶ岳の麓に入山し、長蔵小屋の前身となる社務所を建てたのが始まりです。当初は信仰の山としての拠点でしたが、次第に尾瀬の美しさに魅了された登山客が集まるようになりました。

「尾瀬沼ダム化計画」の反対を訴願し、天然記念物、国立公園、禁漁区などにして阻止せんと各地を奔走。長蔵の訴えにより、自然保護がはじめて社会問題となりました。

「大自然の恩恵の下に集まりてこの大自然の美を享受せよ」

平野 長蔵(1870-1930)


平野長英|ダム計画を退けた不屈の意志

大正から昭和にかけ、長蔵の息子・平野長英が小屋を継ぎます。この時期、尾瀬は「ダム計画」という、その存在を根本から揺るがす最大の危機に直面しました。

長英は「尾瀬を水底に沈めてはならない」と全国の文化人や登山家に呼びかけ、反対運動を展開。このダム反対運動がきっかけとなり、1951年に日本自然保護協会(NACS-J)が設立されました。まさに日本の自然保護運動の原点となりました。

「自分は尾瀬の自然の中に生きているひとつの生物である」

平野 長英(1903-1988)


平野長靖|観光公害との闘い

ダム計画が事実上撤回された後、1960年代には「観光公害」という新たな問題が発生しました。京都大学文学部を卒業後、北海道新聞社勤務を経て小屋3代となった平野長靖はこの難局に立ち向かいます。

彼は当時の環境庁長官へ直訴するなど、文字通り命を懸けて道路建設を阻止しました。「自分のゴミは自分で持ち帰る」という、今では当たり前のマナーを日本で初めて定着させたのも、この時期の長蔵小屋と関係者たちでした。尾瀬の自然保護運動の最中、厳冬期の三平峠にて36歳の若さで帰らぬ人となりました。

「まもる。峠の緑の道を 鳥たちのすみかを みんなの尾瀬を」

平野 長靖(1935-1971)

関連図書のご紹介

尾瀬 —山小屋三代の記

著者:後藤 允

尾瀬を拓いた平野長蔵が沼畔に山小屋を建てて九十余年。以来、長蔵小屋の親子三代は、つつましく自然と「共生」する道を模索してきたが、ときには電力会社による取水に、ときには自動車道路の建設に、身を挺して戦うことを余儀なくされもした。 — 三代の肖像を、いくたびも破壊の危機に瀕してきた端正な自然を背景に描く。(ブックレビューより)

尾瀬に死す

著者:平野長靖

1971年12月、尾瀬の長蔵小屋から下山途中遭難、平野長靖の短かすぎる生涯は自然保護運動の先駆者的足跡とともに語り継がれている。初代の環境庁長官に就任したばかりの大石武一長官への訴えは、長官の「蛮勇」を引き出し、三平峠に迫っていたブルドーザーを止め行政の決定を覆すという、事態の劇的転換を成し遂げた。彼の最後の言葉に、「まもる/峠の緑の道を/鳥たちのすみかを/みんなの尾瀬を/人間にとって/ほんとうに大切なものを」とある。(ブックレビューより)

大下藤次郎紀行文—尾瀬沼

著者:大下藤次郎

大下藤次郎(明治3-44年)、水彩画家。明治38年『みづゑ』を創刊。水彩画の普及につとめ文章家としても活躍した。
今より14年ほど前、雑誌「太陽」の第一巻一号に、利根水源探検記があった。一行十余人で利根を遡り、藤原村より渓流を歩し、大困難を冒して一大平原の上に出た。それは尾瀬ケ原で、遙に一湖沼を見たが、それが尾瀬沼である。そしてその湖畔に小屋があって、岩代と上野との住人が物貨の交易場に宛てられてある。会津檜枝岐よりするも、上州戸倉よりするもいづれも五里ほどあって、無人の境、風光極めて佳絶であると誌してある。私はこの記事を読んだ時より、その尾瀬沼をぜひ探って見たいと思った。(本文より)

尾瀬の自然を守った平野長英
ミズバショウの花いつまでも

著者:蜂谷 緑、 津田 櫓冬

工事は急ピッチで進み、しだいに三平峠へとせまっていました。ついこの間まで、緑の木かげに、イチリンソウやスミレがひっそりとさいていた山道でした。今では一日中、ブルドーザーがうなりをあげて、ブナ林をなぎたおしていきます。長蔵小屋の人びとにとって、三平峠の木がたおされていくことは、自分の体を切られるようないたみでした。(本文より)

尾瀬を守る人びと
長蔵小屋の三代

著者:後藤 允

美しい自然が太古のままに残されて、世界の自然環境の宝庫と言われる「尾瀬」。その尾瀬に住み、尾瀬を拓き、尾瀬を環境破壊や無用な開発からまもった長蔵小屋の三代の男。平野長蔵・長英・長靖の父子孫三人のそれぞれの生き方は、環境問題のバイブルと言われる「尾瀬」を考えるとき、尾瀬の将来だけでなく、自然に人間がどう接するべきなのかを教えてくれます。 平野長靖と沼田高校同級生だった著者が、悲劇的な遭難死をとげた級友に、痛切な哀悼をこめて贈る書。(ブックレビューより)

【光村ライブラリー 第十六巻】
高学年向き
田中正造ほか

「守る、みんなの尾瀬を」著者:後藤 充

今日も、尾瀬の植物たちを守るためにしかれた木道を、人々は、自然の息づかいを楽しみながら歩いている。この尾瀬の美しさをいつまでも守るために、人は何をしなければならないのだろうか。地球のほんの点ほどの小さな尾瀬が、「自然と人は、もっと仲良く暮らそうよ。」と悲鳴を上げている。この声を聞き取った青年、平野長靖。今改めて、あちこちから聞こえる地球の悲鳴に、わたしたちみんなが耳をかたむけなければならないはずである。(本文より)


写真集・画集

四季の尾瀬写真集
光と風の詩

著者: 長蔵小屋 従業員

長蔵小屋の売店で販売

何故に尾瀬はこんなに美しく、そして私たちに生きる力を与えてくれるのでしょう。原子太古の悠久の流れから、幾千年経てもなお、尾瀬の生命は息づき、生きています。一歩一歩、一息一息、歩くことにより、私たちの心の中に、わが“内なる尾瀬”が芽生え、魂は自然にやすらいでゆくのかもしれません。 一日として、同じ姿を見せない自然。それは刻々と変化し、私たちにいつも新鮮な、驚異と神秘と感動を与えてくれるの です。この美しき尾瀬が永遠に残され、次代の人々に受け継がれることを心から願っています。尾瀬沼畔 長蔵小屋 平野紀子(あとがきより抜粋)

スケさんと小屋の50年
―入沢祐明写真集―

著者:入沢祐明

長蔵小屋の売店で販売

長蔵小屋のお客様には「スケさん」でお馴染の入沢祐明が、尾瀬に入って今年で50年を迎えます。山での暮らしを愛し、平野長英(2代)、長靖・紀子(3代)、太郎(4代)と代が変わっても、誠実な人柄で小屋を支え続けてく来てくれました。 <中略> 30歳を過ぎてから撮り始めたという写真をここにまとめました。時として厳しい自然の中に住み、働く人ならではの視点で切り取られた尾瀬沼畔の四季。毎年同じ場所から似たようなアングルで撮影していても、ニッコウキスゲの花の表情は一年として同じだったことはないそうです。写真のほか、巻末にはスケさんと小屋の50年をふり返ったエピソードを添えてあります。(ブックレビューより)

油彩―尾瀬
星 兼雄 画文集

著者:星 兼雄

長蔵小屋の売店で販売

尾瀬と一口に言っても沼があり原がある。主峰が男性的な燧ヶ岳なら対峙する至仏山は女性的。その広さはどこまでか“周辺の山地を含む景勝地”と漠然としているが、世界に冠たる生植物相の豊富さで「自然の宝庫」。いたるところに無数の湿原と数えきれない池塘があり不揃いな四季の区切りで1年の半分近くを冬とし残りを春夏秋が融通し合う。いま早春。草花たちは良く知っていて秋のおわりに根元に出しておいた越冬芽をいま、ばくはつさせて、尾瀬の早春、尾瀬の開花。(本文「尾瀬早春」より)

山岸光之写真集
冬の尾瀬

著者:山岸光之

長蔵小屋の売店で販売

厳冬の尾瀬は、単独では、専門家でも入山は難しい。 冬の尾瀬を撮ってこいと云われ、絶対無理だと思った。 しかし、たった一つ方法があった。当時、長蔵小屋が主催する「冬のスキーツァー」だった。 この写真集の半分は、二度のスキーツァーで撮ったものである。 私にとって、生涯忘れることができない撮影山行だった。 この経験を契機に「静寂の尾瀬」というテーマで追求し続けて三十数年が過ぎようとしている。 (あとがきより)

尾瀬沼畔 長蔵小屋

〒967-0532 福島県南会津郡桧枝岐村尾瀬沼畔1

尾瀬ケ原 第二長蔵小屋

〒967-0531 福島県南会津郡桧枝岐村燧ケ岳1

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